俺たちが住む星見ヶ島には、花咲神社という島の御神木を奉る神社がある。  神社には美人の巫女がいるというのが定石だが、ここにも花咲広美という正統派美少女の巫女がいる。  何事にも真面目に取り組む性格ゆえに愛嬌はやや欠けているが、それさえも彼女の魅力の一つにしてしまう容姿の良さがある。虹波学園星見ヶ島分校を卒業する頃には、島で一番の美人になっているだろう。子供の頃から彼女を妹のように可愛がってきた俺にはそれがわかる! 「昨日また失敗しちゃったの。目が合ったら、逃げるように神社を出て行ってしまって」   練習を見に学校へ行くと、教室からヒロッチの声が聞こえてきた。 「考えすぎだとは思うけど」 「そんなことないわ。これが初めてじゃないんだもの」  話している相手は和久井さんのようだ。  二人は学年が二つも違うのに、一緒にいる姿をよく見かける。  ヒロッチが入学する前には既に出会っていて、今では親友のように仲がいい。 「私は真面目に巫女の仕事をしているだけなのに」 「もしかしたら、それが徒(あだ)になっているのかしら」 「そんな」  どうやら巫女の仕事についての悩みを打ち明けているらしい。 「俺もヒロッチの悩みを相談されたい人生だった……」 「信司っ?」 「笹井先輩っ」  思ったことが口から漏れていた。 「い、今の、聞いていたのっ?」  こうなっては仕方がない。 「水くさいぞヒロッチ、俺にも和久井さんのように悩みを相談してくれ」 「どうして私が信司に悩み事を打ち明けなきゃならないのよ。そもそも女の子の会話をこっそり聞いているなんて信じられないっ」 「屋上へ行こうと思ったら聞こえてきただけだ」 「嘘!」 「広美ちゃん、まずは落ち着きましょう? 笹井先輩は広美ちゃんが大事で心配してくれているだけなんだから」 「わ、私が大事で心配っ? い、いらないわよ、こんなアイドルオタクの心配なんて」 「そう言うな。ヒロッチは俺にとって特別な女の子なんだから」 「はひっ? ととと特別って……ああああの、その」 「俺の妹みたいなものってことだ。そりゃあ大事にするさ」 「はああっ? くっ……天罰っ!」  ヒロッチの鞄が俺の脇腹にクリーンヒットした。 「イッて……」  俺のなにが悪いんだよ。 「それで……なにを話していたんだ?」 「話を聞いていたんじゃないの? 私が巫女をしていると、観光客が逃げていくのよ」 「島の人は広美ちゃんの真面目な性格を知っているけど、そうじゃない人には近寄りがたい雰囲気を与えているみたいで、目が合うと神社を出て行ってしまうんですって」  和久井さんのフォローでようやく相談事の内容が見えてくる。 「いったいどんな顔で観光客を見ているんだ?」 「普通よ」  観光客が逃げていく顔がヒロッチの普通らしい。  というのは冗談だが、近寄りがたい雰囲気を与えていることは間違いないようだ。 「神社の成り立ちとか、お札について尋ねられても、私が答えるとすぐに帰ってしまうのよね」 「まさかとは思うが、答えている最中も、神事を執り行っているときみたいな感じなのか?」 「どういう意味?」 「真面目な顔つきで話している訳じゃないよな、ってこと」 「馬鹿なことを言わないで!」  だよな。 「うちの神社について質問されているのよ? 真面目に答えるに決まっているじゃない。信司がアイドル画像を見ているときみたいに、ニヤニヤするわけにはいかないのよ」  ヒロッチの答えに俺と和久井さんは一瞬言葉を失った。 「それは駄目だろ」 「真面目に答えることは大事だけど、伝え方は変えた方がいいかもしれないわよ?」 「ええっ?」  和久井さんも俺に同調したことで、ヒロッチは怯(ひる)んだ。 「私の対応のどこに問題があったのか、さっぱり分からないのだけど」 「神社の人が優しく対応してくれないと、参拝客は恐縮しちゃうってことだ」 「参拝客には、まず笑みを浮かべることよ。アイドルと同じようにね」 「……そっか」  和久井さんはさすがに年上だけあって、いいことを言うなあ。  神社は神聖で厳かな場所だが、近寄りがたい場所ではない。  せっかく神社に来てくれたのだから、気持ちよく参拝してもらいたいじゃないか。 「私の態度が参拝客を怖がらせてしまっていたのね。盲点だったわ」  真面目さゆえの失敗だが、ヒロッチなら軌道修正できるだろう。 「二人ともありがとう。さっそく帰って実践してみるわ」 「頑張って。応援しているわ」 「ええ」  アイドルの練習を終えると俺と和久井さんはヒロッチの仕事を見守るために、ヒロッチと神社へ行くことにした。  神社に着くなりヒロッチは巫女装束に着替えて来たが、時間が夕暮れ時ということもあり、参拝客はいない。  今日は実践の機会がないかもしれないと思い始めたそのとき、女性が神社にやってきた。  スマホで神社の全景を写真を撮ったりしているので、おそらく観光客だろう。  一通り参拝を済ませると、キョロキョロと辺りを見回し始めた。 「ここは書いてもらえるのかな……あっ、巫女さんだ」 「はい」  急に声をかけられたせいなのか、ヒロッチは普段と変わらない表情だった。 「え、えっと……」  ヒロッチ、笑顔、笑顔! 参拝客の女性が軽く怯んでいるぞ。  ジェスチャーで伝えると、ヒロッチが俺を見て、はっと気づく。 「よ、ようこそ御参拝くださいました。どうかなさいましたか?」  ヒロッチが笑みを浮かべると、今度は女性が見とれてしまい、しばらくの間、固まってしまった。 「すみません……あまりにお綺麗なもので。こちらの花咲神社で、御朱印を書いていただくことは出来ますか?」 「出来ますよ。少々お時間をいただきますが、よろしいですか?」 「もちろんです! ありがとうございます」  御朱印ってなんだろう、とスマホで調べてみると、朱印とは神社や寺院で参拝者向けに押印される印章だと書いてある。良くわからないが、御利益がありそうだ。 「お札なども見せていただきたいのですが」 「それでしたら、こちらへおいでください」  ヒロッチの笑顔は完璧だった。女性も嬉しそうだ。  その後、女性は帳面のようなものに御朱印をもらい、お札やお守りをたくさん買って帰っていった。  ヒロッチが俺たちの元へ駆けてくる。 「あの女性、私を怖がらなかったわ!」 「これで問題は解決みたいね、広美ちゃん♪」 「啓子先輩も信司も、ありがとう」  和久井さんに相談を持ちかけるまでだいぶ悩んでいたのか、ヒロッチは心の底から安堵しているように見えた。  良かったな、ヒロッチ。 ──その後、花咲神社には優しい巫女がいると話題になったが、それはまた別のお話。